世界 すごい音楽家 ランキングまとめ 10選[最新2016年度版]
世界 すごい音楽家ランキングについてまとめました。
それでは、第10位からカウントダウン形式で発表します♪
~世界 すごい音楽家ランキングTOP10~
第10位 フランツ・リスト
出典:http://img.yaplog.jp/img/16/pc/b/r/o/broken-mind/0/27_large.jpg
フランツ・リスト 王政ハンガリー出身で、現在のドイツやオーストリアなどヨーロッパ各地で活躍したピアニスト・作曲家
1811年~1886年
伊のヴァイオリニスト・パガニーニに衝撃を受け、超絶技巧の「ピアノのパガニーニ」を目指し、当時最高のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれ、どんな曲でも初見で弾きこなした。ピアニストとしては演奏活動のみならず、教育活動においてもピアニズムの発展に貢献をした。現在のピアノの演奏スタイルにしたのはリストで、コンサートグッズの作成・販売を初めてしたのもリストと言われています。また、作曲家としては新ドイツ楽派の旗手、および交響詩の創始者として知られる。ハンス・フォン・ビューローをはじめとする多くの弟子を育成した。
第9位 クロード・アシル・ドビュッシー
出典:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/4c/3221f46ecbda71e1a55db8d1e26d5934.jpg
クロード・アシル・ドビュッシー フランス帝国サン・ジェルマン=アン=レー生まれの作曲家
1862年~1918年
長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行し、20世紀の音楽の仕組みを作った人で、ジャズ・ボサノバなど音楽の基礎を作り、音楽が前進したと言われています。ドビュッシーの音楽は、代表作「海」や「夜想曲」などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもあり、テクスト(詞)やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃いと目されることもあるのだという。名前は生後1890年(23歳)まで「アシル=クロード」、1890年(23歳)から「クロード=アシル」である。
第8位 アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク
出典:http://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/003/848/762/3848762/p2.jpg?ct=fe46d24fa68a
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク 後期ロマン派におけるチェコの作曲家
1841年~1904年
宿屋のクスコで、客への余興でヴァイオリンを弾くうちに才能が開花し、ブラームスが才能を見抜きウィーンへ、「スラヴ舞曲集」で一躍人気作曲家となった。スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれる。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させている。交響曲「新生会より」は米国から故郷を思いながら作った曲と言われています。代表作に、弦楽セレナード、管楽セレナード、ピアノ五重奏曲第2番、交響曲第7番、交響曲第8番、交響曲第9番「新世界より、スラヴ舞曲集、この分野の代表作でもあるチェロ協奏曲、「アメリカ」の愛称で知られる弦楽四重奏曲第12番などがある。
第7位 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
出典:http://www.imanari.com/image/tchaikov.jpeg
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー ロシアの作曲家
1840年~1893年
法務省をやめ音楽家を目指し、ロシア人音楽家初のケンブリッジ大学名誉博士号でもある。当時の音楽の中心地・ウィーンへロシアの音楽をひっさげて進出した。叙情的で流麗・メランコリックな旋律や、絢爛豪華なオーケストレーションなどの要因で人気の作曲家で、リズムの天才と言われ、一つのフレーズを発展の連結にしたり、半音階上昇させたり、または下降させたりと他の作曲家には見られないものがある。曲想はメルヘンチックであり、ロマン濃厚な表情が見られる。作品は多岐にわたるが、とりわけ後期の交響曲・バレエ音楽・協奏曲などが愛好されています。
第6位 フレデリック・フランソワ・ショパン
出典:http://pds.exblog.jp/pds/1/200511/20/43/d0061243_1921341.jpg
フレデリック・フランソワ・ショパン ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家
1810年~1849年
当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家として有名。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いた。ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人でもある。1988年からポーランドで発行されていた5000ズウォティ紙幣に肖像が使用されていた。2010年にもショパンの肖像を使用した20ズウォティの記念紙幣が発行されている。
ここからは、いよいよTOP5の発表です!
第5位 シューベルト
出典:http://diskunion.net/images/jacket/XAT-1245551201.jpg
フランツ・ペーター・シューベルト オーストリアの作曲家
1797年~1828年
各分野に名曲を残したが、とりわけドイツ歌曲において功績が大きく、「歌曲の王」と呼ばれることもある。ウィーン郊外のリヒテンタール生まれ。
第4位 バッハ
出典:http://www.worldfolksong.com/classical/common/img/img_cla01/bach01.jpg
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
1685年~1750年
18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家。 バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていた。バッハ研究者の見解では、バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されるが、後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、日本の音楽教育では「音楽の父」と称された。バッハ一族は音楽家の家系で、数多くの音楽家を輩出したが、中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはその功績の大きさから、大バッハとも呼ばれている。J・S・バッハとも略記される。
ランク第3位 久石譲
出典:https://lh4.ggpht.com/YmDYqqHWdubBWSu4-QoTMv-KHGfKs3ps3q4UyHnEAmO98YrROHh13Yded1rnDXQaOvk=w300
久石 譲(ひさいし じょう)1950年12月6日 長野県中野市出身 本名、藤澤 守(ふじさわ まもる)
日本の作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト
長野県須坂高等学校を経て、国立音楽大学作曲科卒業。久石譲の名は、大学在学中に友人と話し合った結果、当時活躍していたクインシー・ジョーンズの名前をもじり漢字に当てたものに由来する。本名である藤澤守名義でも作品を発表しています。映画音楽を中心に手掛け、特に宮崎駿監督作品においては、「風の谷のナウシカ」以来、「風立ちぬ」に至る29年間全ての長編アニメーション映画の音楽を手掛けている。また、北野武監督作品においても、「あの夏、いちばん静かな海。」から「Dolls」に至る7作品の音楽を手掛けている。ソロ活動も行っており、「MKWAJU」や「Melodyphony」など、多数のソロアルバムをリリースしていて、これらのアルバムでは、指揮・演奏・プロデュースも手掛け、ジャンルにとらわれない独自のスタイルを確立している。
ランク第2位 ベートーヴェン
出典:http://blog-imgs-42.fc2.com/p/a/u/paura2011/20131212130708e71.jpg
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン ドイツの作曲家
1770年~1827年
J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナの長男として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた祖父ルートヴィヒの支援により生計を立てていた。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言える苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して嫌悪感すら抱くようにまでなってしまったそうです。
ランク第1位 モーツァルト
出典:http://matsumoto-music.com/wp/wp-content/uploads/2016/01/250px-Wolfgang-amadeus-mozart_11.jpg
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト オーストリアの作曲家、演奏家
1756年~1791年
古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人である。称号は神聖ローマ帝国皇室宮廷作曲家、神聖ローマ帝国皇室クラヴィーア教師、ヴェローナのアカデミア・フィラルモニカ名誉楽長などを務めた。父・レオポルトは息子が天才であることを見出し、幼少時から音楽教育を与えた。3歳のときから チェンバロを弾き始め、5歳のときには 最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 K.1a)。11歳ごろの作曲譜も発見されています。父とともに音楽家としてザルツブルク大司教ヒエロニュムス・コロレド伯の宮廷に仕える一方でモーツァルト親子は何度もウィーン、パリ、ロンドン、およびイタリア各地に大旅行を行った。これは神童の演奏を披露したり、よりよい就職先を求めたりするためであったが、どこの宮廷でも就職活動に失敗する。1762年1月にミュンヘンへ、9月にウィーンへ旅行したのち、10月13日、シェーンブルン宮殿でマリア・テレジアの御前で演奏した際、宮殿の床で滑って転んでしまい、6歳のモーツァルトはその時手を取った7歳の皇女マリア・アントーニア(後のマリー・アントワネット)に「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる。」と言ったという逸話がある。7歳のときフランクフルトで演奏した際に作家のゲーテがたまたまそれを聴き、そのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに並ぶと思ったと後に回想しています。
以上、世界 すごい音楽家ランキングまとめTOP10でした♪
スポンサーリンク