新社会人が選ぶ!理想の上司(男性版)ランキングまとめTOP10[2016年版]

      2016/12/10

今春入社を控えた新社会人を対象に明治安田生命保険がアンケートを実施した、理想の上司(男性版)ランキングについてまとめました。

それでは第10位からの発表です♪

理想の上司(男性版)ランキングまとめTOP10~

第10位 設楽 統

出典:http://natalie.mu/images/owarai/ja/sp-handmade_works/photo04.jpg

生年月日: 1973年4月23日 (42歳)
生まれ: 埼玉県 秩父郡 皆野町
お笑い芸人、俳優、声優、司会者。

お笑いコンビ「バナナマン」のボケ、ネタ作り担当。
相方は日村勇紀。

みんなが感じている魅力

・セクシー

「口元がセクシーでエロい」「声と顔からフェロモンが出てる」と評判です。

・・・女子社員はそんなところにウットリしちゃうのかもしれません。

・優しいドS

自他ともに認めるドSですが、威圧的ではなく優しさが見え、本当に楽しそうな顔をしながらいじめるところがたまらないとのこと。
ドMになる部下が続出ですね。

・才能がある

バナナマンのネタは、ほとんど設楽さんが書いているそう。
朝のニュース番組『ノンストップ』でも司会をしていらっしゃいます。

・・・仕事をキッチリこなす上司は部下の憧れです。

・家庭的

1999年に結婚し、娘さんがいらっしゃいます。
家庭的なところや父親らしさが垣間見えるところも魅力のひとつのようです。

・・・休日にちゃんとパパしてる上司は、部下も尊敬しちゃいます。プライベートな悩みにも相談にのってくれそうです。

・親しみやすさ

高校卒業後、西武池袋線の小手指駅で駅員をしていた設楽さん。
また、すごくイケメンというわけでもスタイル抜群というわけでもなく身近にいそうなのに格好いい雰囲気も魅力のひとつです。

・・・いくらイケメンでも近寄りがたい上司はNGですよね。

 

第9位 笑福亭 鶴瓶

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生年月日: 1951年12月23日 (64歳)
生まれ: 大阪府 長吉村(現在の大阪市平野区長吉各町)
笑福亭 鶴瓶は、上方落語の名跡。

初代 笑福亭鶴瓶は、後の林家染八。初め4代目笑福亭松鶴の門下で、師が一旦芸界を離れた時に、2代目林家染丸の門下に移る。
本名は金谷伊太郎。
当代の命名時に松鶴もその存在を語り、2代目であると告げている。

みんなが感じている魅力

・愛されキャラ

タレント、落語家として第一線を走る大御所でありながら老若男女から尊敬され、愛されています。
後輩芸人からも「近寄りやすい」と慕われているほどの温厚な性格の持ち主だそうです。

・・・偉い人のはずなのに分からないことがあれば何でも聞きやすくて優しい雰囲気は、新入社員にとっては神様のような存在です。

・コミュ力がすごい

明るくポジティブでいつも自然体。
出会った人は絶対に逃さず、誰にでも気さくに接するそうです。
芸能人や有名人に限らず、一般の方々とも交流してしまうコミュニケーション力が尊敬されています。
ファンから電話がかかってきても「それもよし」、街で一般の人に声をかけられても気さくに応じる、といったエピソードは数知れず。
間違い電話の相手と話し込んで意気投合し、その人の娘の結婚式にまで参加したという話は特に有名。

・・・気さくに話しかけてくれる上司がいるだけで会社が明るく楽しくなり、仕事もはかどりそうですね!

・自分の信念をしっかりと持っている

どのエピソードも雑誌でのインタビューでも考え方が一貫しています。
名言といわれるいくつかをご紹介します。
【普段から人の輪に加わるようにしていれば、それだけ人間関係の能力は磨かれる】
【自分が変わっていったら、結果として周囲が変わっていく】
【神様から「お前もなんかせい」と言われて人は生まれてきてるんや。だから、自分を信じるべきや】
【嫌いな人はいないし、人が好きなんです。自分を嫌ってる人でも心を開いて接して殴られたら、それもまた面白い(笑)でしょ】
【人間って、みんな面白い。だから、無理に面白くしようとしないでいい】
【『普通』なんていうのは『普通を見せるぞと』思わないと見せれない】

・・・困ったときやアドバイスが欲しい時に、お説教や自分語りではなく、しっかりと自分の考えを話してくれる上司は貴重な存在です。
相手のことを思いやる言葉が自然と出てくるのは、その人たちのことをいつも親身に思っている証拠ですよね。
悩んでいるときに上記のようなことをまっすぐに伝えられたら「よし!もうちょっと頑張ろう!」と思えそうです。

第7位(同率) 長谷部 誠

出典:http://livedoor.blogimg.jp/bystandard/imgs/e/8/e8eb36d2.jpg

生年月日: 1984年1月18日 (32歳)
生まれ: 静岡県 藤枝市

長谷部 誠は、静岡県藤枝市出身のプロサッカー選手。
ブンデスリーガ・アイントラハト・フランクフルト所属。
日本代表。
ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。

みんなが感じている魅力

・天性のキャプテン

アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ両代表監督から「天性のキャプテン」と称されています。
どんなときもチーム最優先の行動を取る立ち振る舞いができるからこその称賛です。

2015年アジアカップ。
アジア杯連覇を日本代表を狙っていましたが、FIFAランク54位の日本は同80位のUAEに1-1からPK戦(4-5)で敗れ、ベスト4にも残れませんでした。
そのPK戦で失敗をした本田や香川にキャプテンの長谷川さんは誰よりも早く駆け寄り、笑顔を向け、肩を抱いて励ましました。
そして相手方のPKが決まり、アジア杯連覇の道が途絶えてしまった時、長谷川さんは先頭に立ってスタンドのサポーターに俯くことなく挨拶を行いました。
そしてロッカールームに通じる階段を下りるまで視線はまっすぐ前方を捉え、チームを気丈にけん引していたそうです。

・・・同じプロジェクトチームのリーダーとしていたら、みんなの士気も上がりそうですね!

・責任感が強い

ダメなことはダメ、いいことはいいとハッキリ言うタイプ。
試合に勝っても内容的に課題や足りない部分があれば「この勝ちは忘れた方がいい」「こんな内容で満足してはいけない」と容赦なく苦言を呈し、チームを律します。
集団の統率を乱すような出来事が少しでも見受けられたら、厳しく向き合います。
ザックジャパン発足直後の合宿集合時に遅れてきた森本貴幸を怒ったのは、顕著な例です。

・・・上司や先輩の指導や考え方ひとつで、新しい会社や仕事に対する心構えやモチベーションって変わってきますよね。
良い見本、目標になりますね。

・選手、監督と信頼関係をしっかり築けている

ザックジャパン最初の国際大会2011年アジアカップ(カタール)では、時に仲間を叱咤激励し、選手だけのミーティングを実施し、不安定な戦いを続けるチームを力強く支えてアジア制覇へと導きました。
これを機に、ザック監督との信頼関係は強固なものとなりました。

・・・上司のご機嫌取りだけをするわけでなく、部下にだけ偉そうにするでもなく、上司・部下・同僚まんべんなく良い関係を築けている人はみんなから信用され、愛されている証拠です。

・自分に対して常に正直、ブレない

所属チームでは本職でない右サイドバックや右MFで起用されることが多く、監督に移籍を直訴したことで溝が生まれ、8試合連続ベンチ外となったこともある長谷部さん。
その際、現実を受け入れつつも「僕は何をやるにしても自分に正直にやっているんで、ブレることは絶対にない」と断言しました。
「試合に出ていなければ試合勘がズレることもあるかもしれないけど、それは経験でカバーする。代表で結果を出せなければ選ばれないだけ。そこは自分の中でクリアになっています」と妥協を許さず、自身を追い込みました。
こうしたストイックさがチームメイトにも前向きな影響を与えているそうです。

・・・こんな上司がいたら尊敬してどこまでもついていけます!

 

第7位(同率) イチロー

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生年月日: 1973年10月22日 (42歳)
生まれ: 愛知県 春日井市

イチローは、愛知県西春日井郡豊山町出身のプロ野球選手。
他表現では「Ichiro」「Ichiro Suzuki」「イチロー・スズキ」など。
マイアミ・マーリンズ所属。
血液型はB型。
NPB・MLBの双方で多数の記録を保持している。
MLBのシーズン最多安打記録や10年連続200安打などの記録がある。

みんなが感じている魅力

人並み以上の努力家

小学生時代からプロ野球の選手になるという明確な目標を常に高く持ち、ひたすら練習し、最大の努力していたそうです。
・小学3年生から1年の360日は野球の練習
・中学卒業までの7年間、毎日バッティングセンターに通い続ける
・中学時代は早朝練習→学校→部活動→練習の繰り返し
・高校時代は自由時間も素振りやランニングに費やす
・勉強も怠らず、成績は常にトップクラス
「どんなときも手を抜いたことは一度もなかった」
「夢をつかむというのは一気にはできません。
小さな事を積み重ねることで、いつの日か信じられないような力を出せるようになっていきます。」
と、自身のインタビューで語られています。

・・・こんな超人の上司がいたら少し近寄りがたいかもしれませんが、尊敬するしかありません。
爪の垢を煎じて飲ませてください!

決めたことは必ず守る

・筋トレ・ランニング・素振りを欠かさない
・試合開始5時間前には球場入りし、念入りに身体のケアをする
・毎朝、朝食にカレーを食べる
これは毎日同じものを食べていると、毎日同じ体調を維持できるという考えで、最高の状態を保つためにやっている陰の努力だそうです。

・・・慣れや惰性は失敗や事故のもと!
本当に爪の垢を煎じて飲ませてください!

ポリシー、人間性がかっこいい

・新年「初打ち」の場所は、必ず名古屋のバッティングセンターと決めている
・自分をスカウトしてくれたオリックスのスカウトマン 三輪田勝利氏を「恩人」と呼び、お墓参りを欠かさない
・用具をとても大事にする

・・・自分の原点を見失わず、初心をしっかりと持つことって言葉でいうのは簡単ですが案外出来ないことです。

意外とオチャメ

キャンプインの際のおもしろTシャツは有名ですね。
2012年からの恒例行事となっているようで、キャンプに持ち込むオリジナルTシャツの総数は10枚以上だそうです。

・・・超人すぎて近寄りがたいと思いきや、こんなチャーミングな一面があるなんて目が離せません。

ムネリンのイチロー愛がすごい

川崎宗則のイチロー愛は深く、同じチームだけのプレーを希望し、メジャー契約より条件面で劣るマイナー契約を受け入れました。
以下、ムネリンのイチローを好きすぎるが故の発言です。
・「今回、一番の収穫は、イチローさんがユンケルを飲む時間帯が試合の1時間前ということが分かったこと」
・「イチロー選手はおにぎり。毎朝焼肉だと飽きるけど、おにぎりだと飽きないでしょ」
・背番号61について「逆から読んだら“イチロー”です」
・「イチロー選手が合流したら、また楽しい。僕の癒やしです」
・「僕、ロッカーがイチローさんと隣なんですよ、やっぱり、川崎『61』と(イチローのユニホームが並んでいる)、あん時はドキッとしましたね」
・「(イチローと一緒にキャンプインし)感動しました。緊張した」
・「きょうは僕の記念日。(初めて)イチローさんとバッティング練習から一緒だった。テンション上がります」
・「きょうは僕の記念日。打撃練習から一緒だったから、これはいけるなと」
・メジャー公式戦初出場で「(打った直後にベンチにいた)イチローさんから声が聞こえた。はっきり分からなかったが“いいぞ!”だったと思う。それが一番だったかも」
・2ショット写真のTシャツを作成

・・・見ていて微笑ましくなってしまいますね。
2人の関係もまた理想の上司の一因かもしれませんね。

 

第5位(同率) 内村 光良

出典:http://ge-noumatome.com

生年月日: 1964年7月22日 (51歳)
生まれ: 熊本県 人吉市 あさぎり町

内村 光良は、日本のお笑い芸人、俳優、司会者、映画監督。
熊本県人吉市出身。
マセキ芸能社所属。

みんなが感じている魅力

・人柄が良く、人望も厚くて慕われてる

性格がにじみ出ている優しい笑顔、おっとりとした喋り、そのうえ最高に面白い内村さん。
今もなお世間からウッチャンと呼ばれているところからも愛され具合がわかります。

人情に厚く、男気あふれるエピソードも多い内村さんは、仏と言われるほどの人格者だそうです。

内村さんを【師匠】と慕うキャイ~ンの天野さん曰く「我々に対して、つき合いが上下関係ではなく、横。けっしてくさしたりしない。具体的に『こうしろ!』とは絶対言わないんですが、生き方で、というか無言で教えてくれる。たとえばロケでは一般の人に迷惑かけないように心がけ、冷めたお弁当でもいただく。本当に人格者。後ろから見ると修行僧みたいな感じ」と言い、ウドさんも「内村さんは海のように広くて深い、優しい人です。みんなを受け止めてくれるっていうんですかね。まず怒らない。非常に純粋で守ってあげたいところがありまして。実際は守ってもらっているんですが…。たとえば一緒に飲んでいても、『(その場にいない)“ずん”の飯尾はどうしてる?呼ぼうよ』なんて、いつも後輩を気にかけてくれる。僕らの世代はみんなそんな感じだから、内村さんと仕事がしたいんです」

面倒見のいいことで知られる内村さんは、これまでに数々の芸人を救っており、売れない芸人の神様と言われています。
例えば、コンビ名をバカルディからさまぁ~ずに改名させたことで再ブレイクしました。
(内村さんご自身はコンビ名を改名させた責任をずっと感じているようで、もう二度としないと仰っているようですが・・・)
猿岩石ブームが終わってどん底にいた有吉弘行さんも、内村さんの番組にコンスタントに呼び、ブレイクのきっかけを作りました。

また、ある番組に出演した若手芸人たちが「去年の打ち上げで、内村さんが芸人全員のいいところを言ってくれた」というエピソードを披露しました。
「若手芸人に直接アドバイスしない」と聞くと淡白なイメージを持ちますが、さまぁ~ず大竹さん曰く「内村さんは“見て学べ”。それでいて、芸人のいいところを探してくれる」と言い、三村さんも「俺はすぐ『面白くない』とか言いがちですが、内村さんは言わない。でも同じ事務所(マセキ芸能社)の後輩には異常に厳しい」と言っています。

芸人だけでなくスタッフの面倒見も良く、放送作家の鈴木おさむさん曰く「僕は内村さんが出演していた『夢で逢えたら』を観て放送作家を志したのですが、初めて『内村プロデュース』でお会いしたときはオーラがキラキラして、かつ評判どおりの人見知りの方で驚きました。内村さんに監督をお願いさせていただいたときは、まだ完全には(引き受けることに)OKを頂いていない状態でお会いしたら、すでにノートに構成を完璧に書いていて感動しました。
後輩を可愛がる理由は、超人見知りな内村さんはご自身のことを不器用だと思っているフシがあり、だからこそ彼らを見ると放っておけないんではないかと思います。そして後輩芸人の“通訳者”として最高の能力を持っている。スタジオで若手は“内村さんが見ている”じゃなくて“見てくれている”と感じている。だからみんな頑張る。面白くなる。番組自体がいい方向に回転していくんですよ」と大絶賛です。
「若い芸人を拒まないで前に出してあげようという姿勢はタモリさんと通じますね。内村さんはあまり自身を強く出していないことで、企画が際立ち、番組がヒットする。自分のキャラが濃すぎないから飽きられないんです。同じ薄味系で『笑っていいとも!』を30年以上続けたタモリさんの後に続くのはウッチャンかもしれません(江戸川大学準教授・お笑い評論家 西条昇氏)」

・・・こんな人望があって優しくて面倒見がいい上司がいたら、一生ついていきます!

・まとめる力、プロデュース力がある

マルチな才能で知られる内村さん。
コントはもちろん、役者や映画監督などもされています。
「もともと映画監督志望だった内村さん。演じる役者でありつつ、もうひとつ監督の目線を持っている。いまのテレビはチームプレー。自分だけ頑張って面白くてもダメで、ほかの芸人たちのリアクション芸やすべり芸といった、いろいろな笑いをまとめる力が必要とされる。内村さん自体は飛びぬけて笑わせるわけではないが、全体を面白くするという意味では、テレビ界を見渡して、ほかには少ない存在(社会学者の太田省一氏)」

・・・様々なアイディアがあり、それを実行し、完璧に仕上げる。かっこよすぎて憧れの存在ですね。

第5位(同率) タモリ

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生年月日: 1945年8月22日 (70歳)
生まれ: 福岡県 福岡市 南区

タモリは、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー、作詞家、作曲家、作家、実業家。
本名:森田 一義。
福岡県福岡市南区出身。
田辺エージェンシー所属。
血液型はO型。

みんなが感じている魅力

・ユルい雰囲気なのに実は凄い人

いい感じに脱力しているというか、絶妙にユルくて誰からも愛される人当たりの良さがあるタモリさん。
数々のすごい経歴や伝説をもっています。

幼少時代から大人びていて、幼稚園のお遊戯会をみて「あんな子供っぽいことできん」と入園を拒否し、幼稚園には通わなかったそうです。

女優の吉永小百合さんに会いたくて、一浪して早稲田大学第二文学部西洋哲学科したタモリさん。
トランペットに自信があったため、超名門の早大モダンジャズ研究会に入るものの、先輩に「マイルスのペットは泣いてるが、お前のペットは笑っている」と指摘され、挫折。
同研究会の演奏会の際の司会を担当することになります。
とはいうものの、現在も相当な腕前です。
その後、大学を中退しますが、その理由が同級生3人と行った旅行代金をタモリさんが一時的に立て替えてたものの2人からお金が返ってこず学費が払えなかったため、抹籍になったからだそうです。

大学中退後は福岡に戻り、フルーツパーラーの店長、ボウリング場の支配人、うどん屋経営、保険外交員、駐車場の責任者、喫茶店など様々な仕事を経験します。
保険外交員(朝日生命)時代は営業成績がトップクラスで表彰されたこともあるそうです。
地元の九州の一部の地域では既に有名人だったらしく、素人時代の武田鉄矢さんが「喫茶店に変わった店員がいる」との噂を聞いて、そこへ行き、コーヒーを注文したところ「お前にコーヒーの味がわかるのか?」と言われたそう。
月日がたち、ある日テレビを見ていると、その店員だったタモリさんが出ていて度肝を抜かれたそうです。
ちなみにタモリさんは、ウインナーコーヒーに本当のウインナーを入れて出したりしていたそうです。

タモリさんがデビューするきっかけとなったのは、ジャズピアニスト山下洋輔との出会いがきっかけでした。
福岡のライブの打ち上げ会場で「ハナモゲラ語で会話する人」という意味不明なネタをして、大爆笑だったそう。
その後、東京に帰ってからも山下さん達は「あの男にまた会いたい」と【九州の伝説の男・森田を呼ぶ会】を結成し、みんなでカンパしあって月1でタモリさんを東京に呼んでいました。
ある日、タモリさんの芸を見た赤塚不二夫さんはその才能にホレて「この男を博多に帰してはいけない」と、すぐさま自らの家に居候させ、4LDKで家賃15万の家や服、ベンツなどをタモリさんに自由に使わせ、赤塚さん自身は狭い仕事場で寝泊りしていたそうです。
平成20年8月7日に行われた赤塚さんの告別式では「私もあなたの数多くの作品の一つです」との弔辞を読み上げたタモリさん。
この弔辞は7分56秒にも及ぶものであり、まじめに読み上げていた巻紙は、実は白紙でした。
後日、徳光和夫さんが『テレホンショッキング』に登場した際に、弔辞が白紙だったことについて尋ねられますが『もう忘れました』とサラリとかわしました。
恩人だったからこそ弔辞をギャグと捉え、勧進帳で師匠が亡くなった悲しみを可笑しみに変えたタモリさん。

笑福亭鶴瓶さんはかつて、タモリさんに「なんで人の笑いを邪魔するのか」と尋ねたことがあるそうです。
これに対し「お前やさんまは笑いを取りに行こうとする。それが当たり前になると帯番組はマンネリになる。だから一番山のところで叩く。そうすれば何かを考えるだろう。それがマンネリ解消になる」と答えたとのこと。
鶴瓶さんはその予定調和を嫌う態度こそがタモリさんがトップに君臨する理由と見抜き、【テレビの師匠】として仰いでいるそうです。

タモリさんは『笑っていいとも』を1回休んだ事があります。
「その理由は船舶免許を取得するため」だそうです。

『ネクラ』という言葉はタモリさんが作った造語だそうです。

笑っていいとも!の最終回、タモリさんが『みすぼらしい身にたくさんのきれいな衣装を着せていただきました』と挨拶され、最後は決まり文句の「明日もまた見てくれるかな?」で締められました。
その謙虚な姿勢と、最後のオチがたまりません。

・・・いつもゆるくて飄々としているマイペースな上司が、実はものすごい経歴&伝説の持ち主だった!カッコいいです。
1日中、話を聞いていたいです。

・博学で多趣味

知識の懐がとても深く、探究心があるタモリさん。
そんなことまで知ってるのか?というトリビアのようなことも面白おかしく話されます。
料理上手なことや鉄道好きなことは有名ですが、タモリさんは坂道についても造詣が深いそうです。
東京に初めて来た際、なんと坂の多い場所なんだと驚き、幼少のころから坂道に興味があったタモリさんは2000年に「日本坂道学会」を結成し、副会長を自称するようになりました。
休日には好みの坂を歩き周り、坂道の写真を撮って「TOKYO1週間」誌上に『TOKYO坂道美学デートNAVI入門』を連載、2004年にはその活動が『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)としてまとめられました。
ちなみにタモリさんが坂道を見る鑑賞の点は、①勾配の具合を自分の目で確かめ、②湾曲の行き方(角度・傾斜)はどうなっているか、③周囲に江戸などの歴史、景色、風情を出す物があるかどうか、④坂道の名前の由来など由緒を自ら調べ感じとれるか、だそうです。
他にもヨットや崖なども好きで、日本各地でヨットの大会【タモリカップ】も開催していらっしゃいます。

・・・人生を楽しむ先輩としても尊敬できますね。

・不変で普遍である

「いい意味で変わらない人」「タモリさんは、ずっとタモリさん」
タモリさんを知る人がよく表現する言葉です。
これは簡単そうでとても難しいことだと思いませんか?

下記にタモリさんらしい名言をいくつかご紹介します。

・適当に働いて、真剣に遊ぶ
「好きな言葉は『適当』」
「コツはね、はりきらないこと」
「やる気のある者は去れ」
「(休日にゴルフをしているとき、一緒にプレイしていた人に向かって)真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」

・宇宙から見たら、どうでもいい
「まあ、私も結構活躍してるみたいなんですけども、宇宙から見たらもうどうでもいいですね」
「人間って『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな」

・仕事は反省しない、人生は振り返る
仕事も何でも「反省はしない」
「反省ばかりしてるとバカバカしくてこれから先、やっていけない」
「過去を振り返らない」
「人生とは後悔する為に過ごすものである」
「前を向いて歩いてたって、つまんないよ。後ろを振り返ったほうが『あれが楽しかった』って楽しいよ。」

・友達なんかいなくていい
「人見知りじゃない奴は面白くない」
「今はね、友達を作ろう作ろうって言い過ぎるよ。友達なんかいなくていいんだよ」

・大きな声を出さない
「日常で一番重要なことを伝えるには低いトーンで小さな声でしゃべる方が伝わる。そうすると相手の注意力が増してくる。大きな声を出せば面白いと思うのは勘違いだ」

・気取らない
「気取った料理を気取って食わせる料理人はバカ」
「料理はリラックスして食べるものだから。緊張させるラーメン屋のオヤジとか、緊張させる頑固な寿司屋のオヤジとか、ああいうの大嫌いなんだよ」

・無理しない
「無理をすると疲れるし、過去もあまり見ない。前だけ向いて気の向くままに生きている」

・「お笑い」と「NHKスペシャル」は同じ
「(NHKスペシャル『巨大災害 地球大変動の衝撃』の都内で取材会でにて)お笑いをやってるのとこういう番組やるのと気分的に差がないんですよ。同じ興味があることをやってるだけで。こういう番組をやるのとイグアナ(のまね)をやるのは全く一緒。非常に面白くやりました。まったく疲れもありません。早くビールが飲みたいな」

・・・タモリさんぽい名言です。こんな考えの上司がいたらきっと会社は楽しいですね。

第4位 所 ジョージ

出典:http://wordleaf.c.yimg.jp

生年月日: 1955年1月26日 (61歳)
生まれ: 埼玉県 所沢市

所 ジョージは、日本のコメディアン、俳優、司会者、ラジオパーソナリティー、シンガーソングライター。
本名・芳賀 隆之(旧姓・角田)。
ティヴィクラブ所属。
芸名の「所ジョージ」の由来は、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに宇崎竜童によって「所沢の柳ジョージ」という意味で命名された。

みんなが感じている魅力

・何がすごいんだかよくわかんないけど何かすごい

男の憧れを体現している所さん。
「愛妻家」「趣味人」「自由人」などなど、イメージが数多くあります。
音楽、車、バイク、ファッション、畑いじり、などなど幅広いジャンルに精通している印象です。
芸能人という仕事ですら趣味のように見え、「遊んで暮らしている」「楽な仕事で稼いでいる」とも言われています。

所さんの所有する“世田谷ベース”は車やバイク、ホビー、がずらりと並んでいて、所さんのオフィス兼遊び場だそうで「遊び」の発信基地だそうです。
この他にも沖縄ベースや八王子ベース、山中湖ベース、世田谷ベース出張所などを所持しており、沖縄ベースに関しては東京ドーム3個分(42000坪)もある巨大な敷地で、ゴルフ練習場やプライベートビーチまであるそうです。

ですが、そんなこだわりをもって集めているものもスタッフさんなどにすぐあげてしまうそうで、ある制作番組スタッフさん曰く「趣味や知識が多面的で、人を喜ばすことが好きな所さんは、自分で何かを生み出すことが好きだけど、それに固執せず、いろいろモノを持っていながら物欲がないという不思議な人。創ったらそれで満足というか、それを誰かに消費してもらいたいという気持ちが強いのかもしれません。だからスタッフからもすごく愛されています。」とのこと。

そんな所さんらしいエピソードのひとつをご紹介します。
とある番組収録の休憩中に、一服しようとした所さん。
しかし、ライターがないことに気づき、近くにいた共演者のマネージャーさんのライターを借りようとしました。
ですが、ただ単純に借りるのは面白くないと思い、ライターに興味を示したフリをしました。
「キミのライターいいね。良かったらさ、ボクの車と交換しない?」
そして所さんは、ライター1本を貰うのと引き換えに、当時乗っていた100万円の愛車・フィアットを本当にそのマネージャーさんにあげたそうです。
その後、所さんはこのような行動を取った理由を聞かれた際、「面白いじゃん。だって、後々こんな話になって、テレビで取り上げられるんだから。そう考えたら、100万は安いだろう」と笑いながら口にしたそうです。

・・・男の夢を体現していて、カッコよすぎます。
上司というより人間としての目標になりますね。

・いつもリラックスしている

肩の力を抜いた、いい意味での「自然体」「いい加減さ」が人気のひとつでもあります。
ですが実は気づかれないように気を配っていて「乗りたいときだけ乗る、はしゃぎたいときだけはしゃぐ」と徹底し、自分のアンテナに引っかかったものだけを楽しそうに受け入れ、気の利いたコメントで処理するように見えるという技術を洗練させているそう。
自由奔放で、アドリブ豊かなイメージのある所さんも、司会の際には「視聴者」と「ゲスト」との両者をつなぐ「計算」に実は相当な神経を削っているそうです。

また、芸能界きっての才能を持ち、ビートたけしさんとコラボした写真誌『FAMOSO』(ネコ・パブリッシング)などのように、趣味と実益を兼ねたビジネスを次々に成功させる商才も持っています。
リラックスすることは発想の豊かさを生み出すそうで、アイデアはストレスから解放された少し力の抜けた状態のときに、浮かんでくることが多いとされます。
散歩中や食事中の他、トイレやお風呂などで、アイデアを思い浮かべる人も少なくありません。
アイデアを生むためには、考え続けるだけではなく、ストレスから解放されたリラックスした時間も大切なのです。

奥田民生さん曰く「僕も所さんにリラックスしなさいと言われました。(体の中に)空気たまるからって(笑)。リラックスして考えたり動いたりしている所さんの姿勢を見習いたいですね。」

スランプに陥っていたテレビ東京のアナウンサー大橋未歩さんには「そんながんばったって、しょーがないんだから」と助言されたそう。
その結果、「向上心がある以上『うまく進行したい』という気持ちがどうしても前に出てしまう。でも、それは視聴者の方には全く関係ないこと。自分に向かっていた意識を外に向けて『どう楽しませるか』『どう感動してもらうか』と考える。そんなアナウンサーの原点に立ち返ることができたとき、ふっと肩の力が抜けて緊張が解消していく気がしました」と話されています。

人生を謳歌し、何事にも拘らず、でも芯を持って生きているような人は、知らない間に人が集まり愛され、人気者になります。
所さんの名言を紹介します。

・「失敗はない」と考えている
「失敗なんかないよ。朝起きて、夜布団に入れれば大成功。そのかわり、布団から出ない、出たくないって奴は駄目だけどね。布団から出ないと、いいから出ないと。とにかく自分を動かさないとドラマが生まれないもん。みなさんが一番勘違いをし始めるのは、色んな便利な物に囲まれて、できるだけ自分は動かないで、周りを動かしたくなる。立場的にね。そんな風になっていくことが幸せだと感じるの。極端な話だけど、それじゃあベッドで寝てて管から栄養入れられてるのと同じだよ。そんなことじゃないよ、幸せは。人は歩きたいし、外へ行きたいし、太陽浴びたいし、暑いって思いもしたい。そこが幸せを感じるとこだよ。だから、面倒くさいことでも、とにかくやることだよね。」

・自由という言葉について
「枠にとらわれたくない、自由でいたい」っていう言葉をカッコイイ意味で使う人がいるけれど、あれ間違っていると思う。みんな社会の中で生きているんだから、なんでもアリッてわけじゃないのよ。規則や枠の中で工夫したり創造したりするから楽しいの。」

・今日のことしか考えない
「人間は頭がいいから、明日のこととか来年のことを考えちゃうでしょ。そうじゃなくて、もうちょっとばかになって今日のことしか考えられないと、幸せになりやすいのにね。」

・大志を抱かない
「少年は大志を抱かず、良かったことは良しとして、うまくいかなくてもこんなもんだと満足す。」

・自分はバカだと自覚する
「皆さぁ、自分が賢いとか、できる人間だとか思っちゃダメだよ。私も含めて、皆バカなんだから。早くバカに気付かないと。バカだってわかれば人間慎重になるから。」

・人生に余裕を持つ
「器量が中途半端な大人は、やけに大人になりきろうとする。大人のステレオタイプな趣味や、年相応という言葉をやけに使いたがる。そんなの、大人ではない。所ジョージのようになれとまでは言わないけれど、もう少し人生に余裕持って周囲を見渡してはどうか。」

・何でもいい
「(もし生まれ変わるとしたら、何になりたいですか?という問いに対して)誰でもいいよ。だって、生まれ変われるのなら、その次も生まれ変れるでしょ?だから、次はこの人、その次はこの人って事になるんだから。」

・・・「リラックスしなさい」と身をもって教えてくれる姿勢、見習います!

第3位 明石家 さんま



生年月日: 1955年7月1日 (60歳)
生まれ: 和歌山県 東牟婁郡 古座町(奈良県奈良市育ち)

明石家 さんまは、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。
本名は杉本 高文。
1970年代後半から活躍を続けている国民的お笑いスターの1人。タモリ、ビートたけしと共に、日本のお笑い芸人BIG3の1人として称される。

みんなが感じている魅力

・とっても優しい

明石家さんまさんは番組の共演者を決して見下したりせず、出演者の良いところや面白いところを引き出してくれるイメージです。
話を聞くのも上手く、どんな相手だろうと「あー!わかるわかる!」と共感されています。

タレントの村上ショージさんも「さんまさんの一番の魅力は“優しさ”やと思います。さらに詳しく言うと、“さりげない優しさ”です。実はね、僕の結婚も、さんまさんの優しさでさせてもらったようなもんです。1989年、お金も全然なかったのに、僕はハワイで挙式をさせてもらったんです。なんでできたかというと、雑誌の企画として式を挙げさせてもらったんです。…ただ、僕の結婚に、おいそれとタイアップが付くようなことはありませんわね(苦笑)。これは後から僕も知ったことやったんですけど、そもそもで言うと、フジテレビのプロデューサーを通じて、雑誌社からさんまさんに話が来たんです。「ショージさんの結婚式を、“特集”を組んでやらせていただこうと思うんですけど、つきましては、さんまさんと大竹しのぶさんに仲人として登場してもらえますかね」という話だったそうです。とても優しいさんまさんなんですけど、それと同じくらい、恥ずかしがりでもあるんです。その人が、奥さんと仲人をして、それを雑誌に載せるということまで了承してくれた。しかも、僕にとっては、「雑誌に載る」という芸人として目立つ“オイシイ”形を作ってくれて。さらに、そんなことをくどくど言うわけではなく、全部を決めてから「こんな話があるみたいやわ」とだけ言ってプレゼントしてくださったんです。」とインタビューでお話されていらっしゃいます。

さんまさんには2人のお子さんがいらっしゃいます。長女のIMALUさんと、離婚された大竹しのぶさんと前夫との間に生まれた長男の二千翔さんです。二千翔さんとさんまさんは血は繋がっていないものの、実の子のようにとても可愛がっているエピソードが知られています。
さんまさんは二千翔さんが淋しがらないように、4人が本当の家族になるために努力をしてきました。当時から多忙なスケジュールに追われる日々でしたが、帰宅すると、必ず、長男の頭を真っ先に撫で、次にIMALUさんの頭を撫でていたそうです。
さんまさんはお子さんに自分のことを『ボス』と呼ばせています。さんまさんご自身は「子供にボスと呼ばせるのが夢だった」とおっしゃっていますが、これは二千翔さんが「お父さん」と呼びにくいだろうと配慮したからだと言われています。
また、子供の頃はとても体が弱かった二千翔さん。喘息の発作に悩まされ、薬が手放せない生活でした。喘息の発作で二千翔さんが寝込んでいる時、さんまさんは夜中から朝までずっと倒れそうになりながらも必死で「気」を送り続けたそうです。すると、熱がぴたっと下がり、大人になった現在まで喘息の症状は全く出なくなったそうです。
IMALUさんの名前の由来というと、「『い』きてるだけで『まる』もうけ」「『いま』をいき『る』」というのが有名ですが、実は心温まるもうひとつの理由がありました。【1IMALU 2にちか 3さんま 4しのぶ】これで家族1つって意味だったそうです。

・・・本当の意味で優しい上司は、それだけで頼りになります。

・決して驕らない

いつも明るくタフな精神の持ち主で、笑いに貪欲、お笑い怪獣と呼ばれているさんまさん。
自分のことが大好き、寝る時以外は喋っている、一般人とも気さくに対応するというエピソードを数多く持っていますね。
笑いを交えて話すさんまさんの言葉はサラッと聞き逃してしまいがちですが、実は名言がとても多いのです。

・俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。

・頑張った人だけが、落ち込むことができる。

・天才が努力したら、これはもう鬼に金棒ですけど、凡人が努力したかて、その努力に敬意は表するとしても、勝ち負けは『努力』の要素だけで左右されるほど甘いもんやない思うんですわ。特に超一流の世界ではね。

・生きてるだけで、 丸儲け。

・やろうとすれば出来んねん、人間みたいなもんは。

・楽しくなることを考えてることは楽しい。

・いっぺん夢中で生きてみい。毎日が夢中や。

・俺なんかは陽気なイメージでそのままやってるよ。疲れようが何しようがそのままやってるな。

・職場に好きな人を一人作ると、仕事行くのが凄く楽しくなるんよね。

・追い詰められなきゃダメなんですよ、なんでも仕事は。ゆっくりやるとロクなことないですね。

・結婚はゴールではない!スタート!しかも途中から障害物競争に変わる。

・バラエティに感動の涙は要らんねん!芸人は笑わせて涙流させな!

・笑いが起これば嘘オッケー!ありがたいくらいや笑いさえ起こってくれれば。どんな嘘でも!

・俺は笑いを順位付けるのは嫌い。自分らが面白いと思うことをやってればええねん。

・(成績が伸び悩んでいる小学生に)満点は星空だけで十分や。

・俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、泣いてる人を笑わせて 幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や。

・暗い人がちょっとでも笑うように、なるべく俺が出てる限り明るい画面を、お届けしたいという、そういうポリシーで生きてるから。

・俺らは楽しそうにみせてナンボやろ。 真面目なとこなんか見せてどないすんねん。

・追いつめられた時には追いつめられた時なりのギャグいうもんがあるんですわ。人間、どんなに沈んでいても笑うんです。葬式の日でも絶対笑えるんですわ。こらスゴいことですよ。でもホント。

・人を好きなまま、死にたい。

・死ぬときに、わくわくしたい。

・やさしさを持った人は、それ以上の悲しみを持っている。

・人間生まれてきた時は裸。死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか。

・何とも思われないよりは嫌われるほうがマシ、好きに変わる可能性が残っているから

・テレビに出てなかったら、ただのやかましいオッサンやで

・・・日々、少なからず落ち込むことってありますよね。新社会人となれば尚更です。
こんな上司がいたら、毎日が楽しくなりそうですね。

 

第2位 池上 彰

出典:http://image.itmedia.co.jp/bizid/articles/1010/15/st_ikegami01.jpg

生年月日: 1950年8月9日 (65歳)
生まれ: 長野県 松本市

みんなが感じている魅力

池上 彰は、日本のジャーナリストである。
東京工業大学教授、信州大学・愛知学院大学特任教授、京都造形芸術大学客員教授、名城大学特別講師、特定非営利活動法人「日本ニュース時事能力検定協会」理事、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員。
かつてはNHKで、社会部記者やニュースキャスターを歴任。

池上 彰さんと言えば、ニュースの解説でおなじみです。
タブーを恐れず相手に斬りこんでいく様は「池上無双」とも呼ばれています。
一方で「自分の意見は言わない」という姿勢を貫き、唯一無二の存在感を放っている池上さん。
一時期はレギュラー番組をもっていましたが「取材する時間がない」ということで、現在解説のお仕事は特番に限定されているそうです。
解説者である前にジャーナリストである、という池上さんの強い意志が伺えますね。

・解説がわかりやすい

政治や経済に興味のない人、興味がないわけじゃないけどなんだか難しそうだからスルーしていた人、そんな人達の興味関心を惹きつけて、取っつきにくいニュースを分かりやすくかみ砕いて解説してくれる池上さんは、幅広い層に人気です。
NHKでこども向けのニュース番組をされているのも納得です。

・上から目線じゃない

解説者にありがちな上から目線がないところも人気の理由です。
政治や経済、世界情勢に興味と文句と持論のある方からも、腰が低くてまっとうな解説をする池上さんには、ぐうの音も出ないはずです。

・少し意地悪で毒があるところも魅力

池上さんの意地悪な毒に、ニヤリとされる人も多いのではないでしょうか。
池上さん本人もそれは自覚されていて「人を引き付けるには期待を裏切ること」だと仰っています。
池上さんの毒は視聴者の不快感にはつながらず、人を引き付ける魅力となっています。
その理由は毒の活かし方を池上さんが心得ていて、きちんと線引きし、場面に応じて毒の制御をしているからです。
好感度には陰口を言わないことが大切で、例えば何人かが集まって話をしている時、誰か1人がトイレに立ったとします。
すると、話題がその人のことになって、場合によっては悪口を言ったりすることになった場合、池上さんは話題の主が戻ってきたときに「実は今、おまえがいない間に、おまえの悪口を話していたんだぞ」とわざと暴露するそうです。
陰険ではない少しの毒は、相手をより信用出来る要素となったりします。

例えば、小泉元首相とブッシュ元大統領の共通点について、池上さんは「長い演説ができないところ」とチクリと毒づきました。

また、池上さん自身が自民党本部へ取材した際、当時の総務会長・野田聖子さんにバッタリ遭遇し「(自民党本部が)昔は閑古鳥鳴いてたでしょ?」「(同じ党三役の高市早苗政調会長との仲について)女同士の対立は?」など、矢継ぎ早に少し意地悪な質問をされていました。
自民党幹事長・石破茂さん(当時)のインタビューではツッこみまくりで、新人議員の名前を覚えていない石破幹事長をいじり、石破さん独特のしゃべり方に対し、敬意を払いながらも「上から目線でシモジモに教えてやるよ、と捉えられることはないですかね?」と聞いた池上さん。「わかりやすくお伝えするために研鑽努力してゆっくり話している」との回答に、すかさず「研鑽努力の結果がコレなんですねぇ」と皮肉で返した池上さん。
石破さんのお茶目な部分もきちんと引き出して彼の好感度を上げつつも、素朴な疑問を正直にぶつけて、茶の間の溜飲も下げる展開は、さすが池上さんといった感じですね。

・・・これぞ理想の上司!頼りになりますね!

 

第1位 松岡 修造

出典:http://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20140818-00000018-wordleaf/20140818-00000018-wordleaf-0e38e927a6781dae826ef656047f466b9.jpg

生年月日: 1967年11月6日 (48歳)
生まれ: 東京都

松岡 修造は、日本の元男子プロテニス選手、テニス指導者。
右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ATP自己最高ランキングはシングルス46位、ダブルス95位。
ATPツアーでシングルス1勝、ダブルス1勝を挙げた。

みんなが感じている魅力

・熱血体育会系キャラ

びっくりするほどの熱血ぶりで暑苦しいと言われることも多々ある松岡さんですが、本人はいたって大真面目で真剣です。
そんなアツい男・松岡さんを見ていると、不思議と笑顔になって元気が出てきます。

・いつも本気

元気であることを味わい尽くしながら、「生きていることを味わい尽くす」という生き方をされているそうです。
トイレに行くときも松岡さんは本気です。
この話は「修造思考!」の中で紹介されていますが、トイレには2つの役割があり、1つは身体から要らないものを吐き出す、トイレ本来の役割。もう1つは誰にも邪魔されずに集中できる空間としての役割だそうです。
身体から要らないものを出し切ることが特に大切で、トイレで出し切ったあとは便器に向かって、そして要らないものを吐き出してくれた自分の身体に感謝するそうです。

・実はめちゃくちゃスゴイ人

テニスを始めたのは小学5年生の時。
兄の方がテニスの才能がありコーチからあまり指導してもらえなかったものの、努力で登りつめ中2で全国優勝。
また高校時代にはアメリカに渡り、トレーニングを積みプロの道へ。
1995年 ウィンブルドン選手権において、日本人の男子テニス選手として62年ぶりのベスト8入りを果たしました。
1992年にはATPツアーシングルス優勝を達成。
世界ランキングでも自己最高の46位を記録しました。
この順位は2011年10月17日に錦織圭さんが更新するまで日本の男子選手が記録したシングルス最高位でした。
現在はテニスの指導やスポーツキャスターをつとめる一方で、日本テニス協会の理事もされていらっしゃいます。

・他者への敬意

アスリートへの取材の際、現役アスリートに対する敬意や謙虚さを忘れていない仕事ぶりが有名です。
相手が自分より年下でも決して子供扱いせず、質問も的を得ていると評判で、なにより自分の事のように真剣に応援したり、喜んだり、悲しんだり、自身のスポーツマンとしての経歴だけでなく人間としても一流だとの声も高いです。

・元気が出る名言の数々

「もともとはネガティブ思考だったけど、毎日の習慣と強い想いで人は変われる」と語る松岡さん。
松岡さんの言葉はネガティブな感情をポジティブに切り替えるサポートをしてくれるものが多く、ネガティブな言葉+ポジティブな言葉だらけです。
本人が悩んで、努力して、乗り越えてきたことを言葉にしているから、魅力的な言葉となっているんですね。

・一所懸命生きていれば、不思議なことに疲れない
・崖っぷちありがとう!!最高だ!!
・よっしゃ、面倒くせぇ!
・悩みん坊、万歳!
・勘違いを特技にするんだ!
・褒め言葉よりも苦言に感謝
・人もテニスも、ラブから始まる

・・・日本の天候をも左右するとも噂されている 超アツい男・松岡さんが堂々の第1位でした!
こんな熱血上司がいたら、どこまでも走ってついていけちゃいますね!

 

以上理想の上司(男性版)ランキングまとめTOP10でした♪


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